生きづらい。
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2020/10/16
※映画公開記念
今回の任務でも、杏寿郎さんは大怪我をして戻られた。負傷した隊士を庇ったそう。柱になってから、そんな無茶が増えて来た。
「案ずるな、かすり傷だッ!」
と仰るけれども、蝶屋敷でお世話になってからの御帰宅なので、正直申しますと全く以て説得力が無い。とはいえ、負われた怪我が致命傷にならなくて本当に良かった。傷は塞がるけど、流れた血が戻らないように切り離された手足も戻らない。かすり傷だと豪語出来るほどにお元気で、かつ五体満足で戻ってくださったことは、わたしはどんなことよりも嬉しかった。
蝶屋敷である程度回復しているものの、体外に流れ出てしまった血はすぐには戻らない。例え呼吸で人並み以上に回復が早くても、だ。そのため、胡蝶さんの進言とお館様の御厚意で、杏寿郎さんは療養で少しばかり休暇を頂いた。
その話がもう鎹鴉から伝達されたのか、翌朝早くから義弟の千寿郎くんが来てくれた。よくお食べになる杏寿郎さんの朝餉を準備することはもう慣れているが、やはり時間が掛かってしまうもの。けれど二人で準備すれば二倍の速さになる。義弟の気遣いはとても有り難かった。
「後は俺がやっておきますから、義姉上は兄上を起こして、包帯を取り換えて来てもらえますか?」
「うん分かった。それじゃあよろしくね。」
あと少しと言うところで、千寿郎くんがそう提案をしてくれた。わたしも同じことを考えていたけれど、先に言われてしまったのなら、わたしが行ってこよう。台所を千寿郎くんに任せて、わたしは真新しい清潔な包帯と胡蝶さんから処方された軟膏を手に杏寿郎さんの元へと足を運ぶ。
「──失礼いたします。……ぁ、」
廊下に膝を着き、声をかけてから襖を開ける。朝日が柔く差す部屋の先の縁側に、杏寿郎さんは座っていらっしゃった。こちらに背を向け、お庭をご覧になっている。その刹那、小春日和の風が、杏寿郎さんの金糸のような髪をたおやかに揺らし、凛とした硝子の音が部屋に響いた。
「ん? ああ、君か。おはよう。」
「お、おはようございます、杏寿郎さん。」
わたしの声に、杏寿郎さんが振り返る。いつもならきりりとつり上がっている眉が、今は穏やかそうに下がっていた。何処かいぢらしい雰囲気に、わたしは一瞬にして悟る。お庭を見ていたのでは無く、杏寿郎さんのお母様が残された風鈴の音の涼やかな音を聴いていらっしゃったのだ。耳を澄まして癒されていたところをお邪魔してしまったかな、と内心戸惑っていると、杏寿郎さんは療養中とは思えないほど身軽に立ち上がり、静かな足音を立てて部屋に戻る。
「どうした?」
「あ、いえ、朝餉の前に包帯をお取り換えしようかと、思いまして、」
「うむ、では頼んでも良いか?」
「は、はい!」
まるで手招くような優しい御声に入室の許可を頂いたわたしは、音を立てないように静かに入り襖を閉めた。
胡坐をかいた杏寿郎さんが寝間着から袖を抜くと、血が滲んだ包帯が巻かれている上体を晒された。今回お怪我なされたのは、脇腹と右上腕。隊服を突き破るほどの強さから、杏寿郎さんが先の任務で対峙した鬼の恐ろしさを痛感させられる。腕、腹部の順に微かに赤い包帯を解くと、逞しい肉体の上を這うように刻まれた、数々の傷跡が目に入った。その中で、まだ化膿状態にあるのが、今回のものだ。致命傷は免れたものの、深く抉られたとの報告だったから、もしかしたら痕に残るかもしれない。何とも言えない切なさを胸に、軟膏を指で掬う。
「失礼、いたします。」
「……っ、」
どんなに怪我が当たり前で痛みに慣れているとしても、痛覚は無くならない。きっとまだ痛むのだろう。わたしが脇腹の傷をなぞった瞬間、杏寿郎さんはびくりと身体を少し震わせ、先ほどまで朗らかだった眉間に皺を寄せた。触れたからか、軟膏が沁みるのか、もしくはその両方。兎にも角にも、早く終わらせねば。何も考えないように処置に集中する。杏寿郎さんは、自分が傷付くことを厭わない人だから、傷を負って戻られることは常だった。怪我の処置経験が浅くても、何度も機会があれば嫌でも慣れてしまう。早く、もっと早く。慣れた手付きで腹部に真っ白な包帯を巻きながらそう想えば、脳裏を過る『抱き締めたい』なんて邪な考えは露と消えていった。
「……はい、出来ました。」
「ああ、ありがとう。」
右上腕にも同じように処置をしたわたしは、燃えるように痛むだろう患部からすぐ手を離し、次いでさりげなく杏寿郎さんと距離を取る。そんなわたしに杏寿郎さんは特に気にも留めていない様子で、袖を通し始めた。それを見届けながら、わたしは襖の傍までさらに下がる。そろそろ千寿郎くんの方も終わる頃合だろう。そう考えたら、何処からともなく、お味噌汁の香りが漂って来た。
「あの、そ、それでは、朝餉をお持ちしますね。」
「っ少し、待ってくれないか!」
珍しく急ぐような御言葉に、わたしも驚いて身体を硬直させる。何か無礼を働いてしまっただろうか、あの邪念が漏れてしまったのか。顔が青冷めていく様が表に出ていたようで、杏寿郎さんが慌てて付け加えるように言葉を続ける。
「あ、いや、包帯の取り換えは大丈夫だ! だからそんなに怯えることはないぞ。」
「は、ぃ。すみませ、ん。」
「う、うむ……。」
身動きを取ることにも躊躇ってしまうような気まずい空気が、わたしたちの間に降りてしまった。思わず畳に手を着き面を上げられないわたしに気を揉んでいるのか、杏寿郎さんも言葉を慎重に選ぶように押し黙ってしまわれている。わたしもどうすれば良いのか分からなくて、ただ落とした視線の先で畳の網目を見つめることしか出来なかった。
その中に、一陣の風が吹く。小春日和のあたたかな風。耳元で風が静かに横切る音と、静寂を破るように鋭い風鈴の音。
「── 。」
しっかりとして暖かい声に名を呼ばれて、わたしはおずおずと顔を上げる。視線の先には、杏寿郎さんが陽だまりのような笑顔を湛えてわたしを見据えていた。それは、わたしが好きで好きでたまらない、絶対に失いたくない大切な御顔。
「こっちにおいで。」
胡坐をかいている膝を軽く叩いて、わたしを呼び寄せる。まるで幼子をあやすように導く御声に、わたしは自然と杏寿郎さんに恐る恐る近寄った。もう少し、と言うところで杏寿郎さんは痺れを切らしたのか、わたしの腕を掴み自分の方に引く。突然のことに、わたしは体勢を崩してしまい、その厚い胸板に勢い良く飛び込んだ。け、怪我をしている人に体重をかけてしまった…!
「あ! す、すみません……!」
「大丈夫だ。気にするな。」
とっさに顔を上げようとして、出来なかった。杏寿郎さんに、抱き竦められてしまったから。息苦しさは無いけれど、こうした愛情表現はわたしたちにはあまり無かったから、怪我の処置の時とはまた別の切なさが胸を締め付ける。加えて、杏寿郎さんの男性的な硬い御身体と、わたしの女性的な柔い身体が合わさって、最後に抱かれた日を想起させられた。ああ、いけない。まだお天道様が昇ったばかりだと言うのに。耳の真横で聴こえる浅い呼吸に、心がざわついた。それに呼応するように、身体が汗ばんで来る。
「……しばらく、このままでも良いか?」
耳元で囁かれた、甘く痺れる音色に、わたしはただ小さく頷くしかなくて、でもこうして抱き寄せてくれたことが泣きたくなるほど嬉しくて。鼻の奥がつんと痛んで、わたしは堪らず杏寿郎さんの広い背に腕を回してしがみつくように抱き返した。密着する身体から、高鳴る心音が交響する。それは、どんなものよりも、だれよりも、心地良かった。
きっと、傷が完治する前に、もしかしたら明日か明後日にでも伝達か召集が掛かって、すぐに発ってしまうだろう。平穏な日など長くは続かない。煉獄家に嫁ぐ前から知っていたことだ。
でも、今だけ。戻りが遅いわたしの様子を見に来る義弟の足音が聞こえてくるまでは。鎹鴉がこの人を呼ぶまでは。わたしたちを隔てるものが何も無い今だけでも、もう少し、このまま。
凛とした硝子の音が、泡沫のようだった。
write:2020/10/16
edit :2020/11/10