Arceus
本当なら、オレがせんせを守ってやらなきゃならねえのに。オレが怪我するのはいつものことだし、せんせが傍にいるんならしっかりとした手当てをしてくれるのに。
クスリソウが足りないからと、せんせと一緒に黒曜の原野に向かった時のこと。突き飛ばされる衝撃に、生ぬるい水が身体に掛かる感覚。それがオレを庇って傷を負ったせんせの血だと分かり、一瞬呆然としてしまった。鮮明な赤がオレの青地の布を侵食していく様子に我に返り、咄嗟にせんせを横抱きにしてその場から駆け出した。オレには攻撃してきたポケモンを確認する余裕もなくて、ただせんせの容態を確認できる場所を必死で探す。
ようやく見つけた木陰にせんせを下ろしてみれば、頭から血がだらだらと溢れていた。手で押さえてみたけれど、傷が深いのか、手に巻いた包帯に血が染み込むばかりでなんの意味も成さない。それでも何もしない訳にはいかず、ただただ必死に傷を押さえた。
どうして、オレが守られてるんだよ。どうして、せんせの血は止まんねえんだよ。
不意に、前にせんせが言っていたことが、頭の中で勝手に再生される。
──多量の失血は命にも関わるから、一刻も早い止血が要求されている。出血量が多いと後遺症が残る可能性が高くなるから、適切な止血はその人の経過やその後のためにも最重要と言えるね。
血の勢いが収まらない。どうすれば、オレはどうすれば。
己の呼吸が強く速まっていくのに対して、せんせの呼吸は弱くて浅い。傷を押さえる手に、グッと力を込めた時。
せんせが、オレの羽織を弱く引っ張った。何事かとせんせの顔を見遣れば、焦点の合わない目でぽつり呟く。
「けが、……ない?」
眉が釣り上がるのが、自分でも分かった。こんな時まで他人の世話を気にするなんて、どこまでお人好しなんだよ。
「オレは大丈夫だから、何も喋んな」
心に余裕がなくて、かなりキツい当たりになってしまったが、どうか許して欲しい。目の前で想い人が生死をさまよっているってのに、落ち着いていられるわけがない。この状況で冷静でいろと言う方が無理だ。
それなのに、せんせというやつは。
「よか、た……」
なんて、オレの知らないような、安心した顔で笑いやがるから。
「っ……何も良くねえよッ!」
オレはいつになく声を荒らげた。
なんであんたは、いつもいつも自分のことを棚上げするんだ。今あんたが一番危機的状況だって言うのに。人の心配ばかりしやがって。
「なんでオレを庇ったんだよッ! せんせならオレが怪我したってすぐ手当て出来んだろッ! なのに……ッ!」
己の不甲斐なさに腸が煮えくり返る。守りたいやつを守れねえでどうするんだ。頭は熱いのに身体中には悪寒ばかりが走って、傷を押さえる手が震えてきた。それでも構わず血はとめどなく溢れてくる。せんせの顔も、心做しか青くなって来た。こんな時、もう少しせんせからもう少し応急処置を教えて貰っておけばと後悔する。
止まれよ、なあ。頼むから。シンオウ様、見て下さっているなら、もっとこの人との時間をくれ。それが駄目なら、これ以上オレからせんせを引き離さないでくれ。
無力なオレは、ただ祈ることしか残されてなかった。
こぼれ落ちたらすくえない
write:2022/03/18
edit :2022/03/20
words by icca