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 今やお互いに行き場の無い感情を、ただぶつけ合っているだけの、もう愛とも恋とも呼べない曖昧で爛れた関係。肌を重ねる時以外に名を呼び合わないのは、暗黙の了解だと思っていた。
「セキ」
 デンボクの旦那に調査報告したその帰りに、オレにかけられる、くぐもっていない凛とした声色。声の方向に振り向けば、しゃんと背筋が伸びているせんせが、医療室前で手招いていた。それにひとつ瞬きをしたオレは、何の躊躇いもなく引き寄せられる。目の前までやってきたオレの手を取るせんせに、何かを握らされた。
「これ、ヒナツちゃんのおばあさんの薬。ついでに持って帰って」
 それは、何の変哲も無い木のかごの取っ手だった。中には風呂敷が敷き詰められて、薬が入っているだろう小瓶が揺れる度にカチカチとひしめき合う。
「今日渡しそびれちゃったんだよね。割れ物から気をつけて。あ、お駄賃としては何だけど、キズぐすりとかオボンの実とかいくつか入れたから、」
 せんせが何かオレに説明してくれているけど、オレはさっき呼ばれた自分の名前を何度も反芻していた。いつものしゃんとしたせんせが目の前にいるのに、脳裏に浮かぶのはどろどろに溶かしされて、どちらのもの
とも分からない体液まみれの彼女。のぼせた目がオレをぼんやりと見上げて、煽るようにだらしなく身体をくねらせる、その──
 ……あ、やべ。
「勃った」
「え?」
 不埒な己に顔を押さえる。あの薄暗い部屋ならまだしも、こんな明るい廊下でなんてよ。夜の時間帯で人が居ないことが不幸中の幸いだ。指の隙間からせんせの顔を見ると、ぱちくりとオレの顔を覗き込む目が、スっと細くなった。あらかた、さっきオレがこぼした言葉の意味を理解したんだろう。
「元気なことで」
「……笑いたきゃ笑えよ」
「笑わないよ。人間の生理現象なんだから。操作できたらそんなことにはなってないでしょ」
 普通なら張り手が飛んで来てもおかしくないんだが、医者であるせんせはすぐ理解を示してくれた。それが嬉しいんだか悲しいんだか、もどかしい感情が一瞬過ぎたのは気のせいか。
「で、……どうする? わたしこれから休憩もらうんだけど」
「……応、じゃあ少し頼むわ」
 その言葉に頷くせんせは、オレの手をかごごと引き、医療室の先にある仮眠室前まで連れて歩く。いつもはオレが夜這いよろしく忍び込む仮眠室に、こうして二人で並んで入ることなんてねえから、全身が茹だるように熱くなってきた。明るい廊下から一転、月明かりが差し込むだけの仮眠室の戸が閉じられた瞬間に、オレは彼女の唇に噛み付く。唾液ごと吸って舌を差し込めば、聴き飽きないくぐもった声が耳朶を打つ。まだ仮眠室の入口だってのに、待てないオレは白衣の下の医療班服をなぞるように手をかけて、そのまませんせの身体を貪ってやった。

熱持つ泥濘にて

 

write:2022/03/11

edit  :2022/03/20

words by icca

瑪瑙(@_MNU260)名義

words by icca

 

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