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2021/07/23

「ネズってさ、最近彼女できたでしょ?」
 その失言に、おれは口につけていたワインを吹き出しそうになって、あわや血塗れのような大惨事となるところだった。
「え、そうなのネズさん?」
 ルリナを始め、その場にいたやつらが一斉におれを見る。集まる視線が痛く感じたおれは面を上げられず、どう答えるか悩んだ末に左手で額を抑えた。
「この様子だと本当みたいだな」
「あんたもやっと春が来たかい! 大切にするんだよ!」
「ネズさんが付き合う女性って気になる。ねえ、どんな人?」
 興味津々と言いたげに前のめりとなって目を輝かせているのが、見なくても雰囲気で分かる。隣の席のメロンさんなんか、おれの背中を遠慮なくバシバシ叩くもんだから、酔いと気まずさで胃に入れたものが全部出て来そうになった。そんなおれの様子を一番離れた席から高みの見物している失言大将は、さぞ楽しまれていることだろう。
「てかなんでオマエ分かったんだ?」
 キバナの質問にやっと周りからの視線から解放される。少し面を上げて元凶をじとりと睨んでやれば、そいつはグラスを持ちながら肘をついて、愉快そうにニヤニヤ笑っていた。
「えー? なんかさ、前より丸くなってない? 雰囲気とかさ?」
なんだその抽象的で曖昧な答えは。おそらく聞かれることを想定してなくて、取って付けたようなそれっぽいことを即興で考えたんだろう。詰めが甘いのは相変わらずだ。
 それでも、酒の肴としては十分なようで。
「あー……、確かに言えてるかもな」
「言われてみれば、ちょっと男らしくなったかもねぇ」
 とその場の酔っ払いたちは一同に納得したから、この場に正常な判断が出来るやつが居ないことが証明されてしまった。
「えー気になる! 誰なんですか?! わたしたちが知ってる人?!」
「あー……」
 知ってるも何も、あなたの隣にいるやつですよ。……なんて言えたなら、矛先があいつに向けさせられて、あいつが慌てふためく姿が見れるというのに。謎の気恥ずかしさから言い淀んでしまった。誤魔化すように水を飲んだが、すっかりぬるくなっていて不味い。なんとも言えぬ味に思わず顔を顰めた。
「彼女かわいい?」
「……まあ、それなりに」
「んだよ〜! 照れてんのかァ?」
 その次に投げかけられたあいつからの質問には本音が漏れてしまって、メロンさんと反対側の席にいるキバナから肘で小突かれる。うるせえ。ノイジーです。払うように手を振るが、キバナのニヤケ顔はさらに深まった。
 出会いは何処だとか親に挨拶したのかとか、根掘り葉掘り聞いてくる質問を何とか避けて話題を変えようと模索していた時、キバナのスマホロトムが電話を報せた。電話に出るためキバナが席を外したタイミングで、メロンさんとルリナもお手洗いへと席を立った。

 そうして残ったのが、おれとあいつ。遮るものがなくなって、ぱちりと視線が合った瞬間、あいつはまた顔を背けてフルフル震え出す。……何で震えているのか分かるおれは、少しイラつきながら席を立ってそいつに近寄る。
「おまえ、っざけんなよ……」
「ふはっ、あっは、あはははは!」
 こちらは本気で怒っているというのに、彼女ときたら堰を切ったように笑い出した。胸ぐらを掴んでこちらに顔を向かせれば、何がそんなに面白かったのか、涙を零すほど大笑いしてる。
「何が『彼女できた?』ですか」
「ははっ、わたしの真似下手すぎ、ふひひっ」
「……おまえね。ずっと笑いこらえていやがって。バラしても良かったんですけど」
「ふふっ。ほんと、ごめんて。っふはは」
 おれに胸ぐらを掴まれていても能天気そうに笑い続ける彼女とは、もう三年くらい付き合っている。マリィが独り立ちできるまでは周りにも内密にしていよう、なんて約束をしたと言うのに、彼女は時折場を引っ掻き回すような言動を起こした。おれはそれに頭を悩ませながらも、惚れた弱み故に許してしまって、またこうして彼女の手のひらで弄ばれている。だからこそ、今日という今日は流石に我慢の限界だ。
「今日こそは許さねえ」
「あっ、待って待って。ネズに聞きたいことがあってさ」
「あ゛?」
 今更改まって聞くことなんてあるのか。なんだかんだ彼女に甘いおれは仕方なく聞いてやってしまう。酒によるものだろう頬を紅潮させながら、悩ましげに首を傾げた。
「──ね、彼女ってかわいい?」
 とろけた目を細めておれを見上げる顔といったら、誘っているようにしか見えない。そういえば、最近お互いに忙しくてご無沙汰だったな。先程までの苛立ちがゾクゾクと背筋を走った。無意識なのか確信犯なのか、どちらにしろタチが悪いことには変わりない。彼女の挑発に対して、おれは額に青筋を立てながら自然と口元が上がる。
「……いいですよ、存分に可愛がってやろうじゃねえか」
「ん? そこはさっきみたいに『それなりに』って返すところだけど、っうわ」
 掴んでいた胸ぐらを持ち上げれば彼女は席を立たざるを得なくなって、よろけながら立ち上がる。その様子を横目に見ながら、おれはボトムスのポケットから適当に金を引っ張り出してテーブルに叩きつけた。紙幣二枚と細かい小銭があれば、おれたち二人が飲んだ分では釣りが返ってくるくらいに余裕だろう。
「お、わわ、ちょっと、」
 彼女の制止も聞かずに引っ張って歩く。戸惑いながらも抵抗はしない様子に、彼女も少なからず期待してくれているのだと安心した。
「お、どうしたお二人さん?」
 店のドアに差し掛かった時、電話が終わって店に戻ってきたキバナと鉢合わせる。女性の胸ぐらを後ろ手に掴んで歩く男が世にも珍しいのだろう、じろじろ見ながら口元をニヤニヤと緩ませていた。
「帰ります」
 端的にそう伝えて閉まりかけたドアを蹴り開く。ドアベルがけたたましい音を立てる様子に、さすがのキバナも少し驚いたようで反射的に固まった。その機を見逃さないよう、すかさず通り抜ければ、夜風が涼しい外へと進み行く。
「あ、またねキバナ!」
 あいも変わらず能天気に知り合いの男の名を呼びながら手を振る彼女に、少しだけカチンと頭にくる。この後ナニされるのか全く危機感のない彼女をどう解らせてやろうか、泣いて謝ったっておれが満足するまで許してやらねえ。らしくもない早歩きで、ここからほど近い彼女の家へと足を進めた。

 

write:2021/07/23

​edit  :2021/12/18

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