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​2020/08/27

 彼女が髪を伸ばしていたのは、ひとつの願掛けだったらしい。それをたった今、おれが切り落とす。ジャキリ、と冷酷な銀色の刃が心無い音を立てると、瞬く間に彼女の一部を過去形にした。

 

「本当に、良かったんですか?」

 

 正直に言えば、おれは彼女の髪が切り落とされるのは名残惜しかった。青い空を背にして風になびく髪が水のようにすらすらと流れる景観は、まるで映画のワンシーンのようで。目を閉じれば、脳裏に焼き付いた記憶がすぐ甦った。それだけ愛おしく思って、同時に憎らしかったはずなのに。もう見れなくなることは、不思議と寂しく思ってしまう。

「うん、もういいの。もう、意味なんて無いから」

 諦観、それとも超然か。その抑揚の無い言葉の裏にある彼女の感情を、おれは読み取ることは出来なかった。

「まあ、元々ショートヘアに憧れてたし。良い機会かなって」

 出来なかったが、彼女の様子を見ていると沈痛な心持ちになる。対してドレッサーの向こうに居る彼女の瞳は、何処かうわの空だ。

 

「……そう、ですか」

 

 髪に隠れていた首筋に、切りっぱなしの毛先がざんばらに掛かっている。もしかしたら、このざんばら髪こそ、今の彼女の心情を表しているのかもしれない。とはいえ、それを確かめる術も、権利も、おれは持ち合わせていないが。

 何も分からないおれだけど、それでも彼女の長い髪のを切る係を任せてもらえたことは、ただ純粋に嬉しかった。他の誰でも無い。彼女がおれに寄せている、信頼の証。彼女から話をもらった時には息が詰まったものの、おれは迷い無く二つ返事で承諾した。

 これはきっと、彼女なりのけじめだ。想いを断ち切る儀式。過去の自分への決別。再出発。彼女らしいと言えば、彼女らしい。彼女の決意に応えるために、おれは銀の刃を持ち直す。

 

「整えて、いきますね」

「うん、おねがい」

 きみの新たな門出に祝福を、シロツメクサの冠に四つ葉のクローバーを添えて。

​ 

シロツメクサ「約束」「私を思って」

四つ葉のクローバー「幸運」「私のものになって」

 

write:2020/08/27

​edit  :2021/12/24

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