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​2020/04/23

 小説や漫画は、本当に無駄知識を増やすには持ってこいだ。

「音に敏感な人って浮気しやすいんだってね」

 真っ黒なコーヒーにミルクを注ぐ。すると途端に白が濁って茶色くなった。カップの縁ギリギリまで注げば、わたし好みのコーヒーが出来上がる。

「……それ、遠回しにおれが浮気性だと言いたいんですか?」

 向かいの席では、角砂糖を3つほど黒いコーヒーの中に落ちていく。それをティー スプーンをつまみながら静かに混ぜているネズは、とても心外だと言いたげな顔をしていた。

「そういうんじゃないけど、そうかもしんない」

「どっちだよ。というか、どこ情報ですかそれ」

「さあ、なんかの研究って漫画に書いてあった」

 コーヒーカップを慎重に持ち上げる。両手で支えて、口元まで。無事に1滴も零さず口つけたコーヒーは、ほろ苦いコクとまろやかなミルクのアンバランスが合わさっている。甘いものが苦手なわたしには程よいものだった。

「ネットで調べれば出てくるでしょう。何もかも見聞きしただけで鵜呑みにすんじゃねぇですよ」

「んー」

「聞きやがれおい」

 ひと口の大きいわたしのコーヒーはみるみるうちに減っていく。一気に飲んでしまうのはわたしの悪い癖だ。

「そもそも、おれが浮気したことなんてありますか」

「あるよ」

「んぶっ」

 ひと口の小さいネズの、静かに口付けたカップが震える。何とか吹き出さず口から離したカップは、グローブをしたまま指を通した持ち手を震わせて、コーヒーが零れそうになるのが見えた。

「いつ、したと?」

「えっとね、まずマリィちゃんの後約を取ったでしょ? まああれは緊急だったから仕方が無かったけど。それと、タチフサグマちゃんのブラッシングに時間かかって私を放ったらかしにしたこともあったよねぇ。そうだ、あと──」

「ま、待ってください」

 動揺しながら置かれたカップから、ついにコーヒーが2滴ほど零れた。ネズはそんなことも気にせず身を乗り出しそうな勢いで、食い入るようにわたしへと迫る。

「それ浮気に入るんですか?」

「え? わたしはそう思ってるけど。ネズ的には浮気じゃない?」

「おれ的、には……」

「ふうん、そっかぁ」

 ネズは何処か気まずそうに座り直し、そして罰が悪そうに尻すぼみになりながらカップの持ち手に指を通し持ち上げて、小さくコーヒーを飲んだ。わたしは中身が少なくなったカップを混ぜるように揺らして、底に溜まっていた黒が浮き上がらせて少しだけ対比を変える。
「じゃあ、いいよ。浮気認定しない」

「、は?」

「ネズが浮気じゃないって言うなら、それは浮気じゃないね。そうだね」

 残ったコーヒーをクイッと飲み干す。こくり、と喉を通った苦味を惜しむように静かにカップを置けば、ネズは目を見開いている。

「浮気じゃないんでしょ? ならわたしも弟と出掛けて来ようかな」

「えっ」

「実はさ、ハンドメイドの物販展示会に誘われてて、迷ってたんだよね。ちなみにそれ今日でさ。いいよね?」

「は? ちょ、ま」

 鞄の中の財布からコーヒーの代金をテーブルに置いて立ち上がったわたしは、ヒールを甲高く響かせながら颯爽と店を出て行く。ドアベルの軽快な音を鳴らして外に出れば、真昼の陽光で一瞬眩んだ。

 駅に続く道を歩いて、スマホで電話を掛ける。

「あ、もしもし? この間誘ってくれたやつだけどさ、まだやってる? ……ほんと? じゃあ今からチケット買って行」くから、と言おうとした時、耳に当てていたスマホを後ろから誰かに抜き取られた。誰か、なんて分かりきっている。

「すみません、やっぱり行けませんので」

 反射的に振り返れば、ネズがわたしのスマホを操作していた。少しムスッとした顔で手渡されるスマホを素直に受け取る。

「あーあ、断られちゃった。楽しみだったのに」

「……おれと出掛けるのは楽しみでない、と」

「そういわけじゃないんだけど、うーん」

 そんないじけなくてもいいのに。でもちょっと可愛くて、思わず歯切れが悪くなってしまった。可愛いなんて素直に言ったら、もっと拗ねてしまうだろうから。

 もうすぐ痴話喧嘩に巻き込むなと文句のメッセージが届く頃。弟には何か詫びをしなければなあ。まあ、後ででいいか。
「つまり今日はわたしを満足させてくれるってこと?」    

 そう上目遣いを意識してネズを見上げれば、ネズも負けじとわたしを見下ろしながら悪い顔をする。

「ええ、もちろん。覚悟しやがれ」

 それは、とても楽しみだ。スマホを鞄の中に仕舞って、ネズの左手に自分の右手を絡ませる。

「じゃあ、早く攫ってマイダーリン」

「仰せのままに、マイハニー」
 

角砂糖を3つ

write:2020/04/23

​edit  :2021/12/04

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