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​2020/04/18

「あと、これ差し上げます」

 

 そう彼女の前に差し出す。目の前の馨しさに、彼女はひとつ瞬きをした。

 

「なにこれ?」

「何って、花ですが」

「そりゃ見れば分かるよ。なんのために?」

「おまえにやるため」

「なんか、記念日とかあったっけ?」

「いえ特には」

「……ちょっと不可解なんだけど」

 

 そう言って彼女はまるで亡霊かゴーストポケモンを見たかのように、凍えるような仕草をしておれを不審がる。

「え、大丈夫? 頭打った? 熱ある?」

 それから、おれの額に彼女の柔らかな手のひらが当たった。同時に自身の額にも反対の手を当てる彼女は、悩ましそうに眉をひそめた。

 

「……うん、無いね」

「恋人に花束を贈ることがそんなに不快ですか」

「不快ではないけど、疑問ではあるかな」

 

 おれが離れていくその手のひらを少し惜しく眺めていることを彼女は知らず、腰に両手を当ては鼻を鳴らす。

 

「なんたってわたしはラフレシアどころかサボネアも逃げ出すほどに、三日で花を枯らすことに特化した女だよ」

「……それ、言ってて虚しくねぇですか?」

「うるせえだまれこのネズ野郎」

 面倒臭がりな性格なのは、付き合う前から知っている。今日のように、おれが外に連れ出さなければ、一日をベッドの上で怠惰に過ごす生粋の出不精だ。普段の所作は上品なのに、性格はとてもガサツなやつ。

 しかし、こうして枯らす云々言うものの、実は花好きな可愛らしい面があることも知っている。彼女の部屋に花が飾られていないことなど一度も無いほどに。……一応、三日で枯らしてしまったり、草ポケモンに嫌われていたりしていることを気にしているのか。飾られている花は、いつも一輪だけだったが。

 本人は特別隠しているつもりは無いが、人に話すことは無いし、プライベートに近いことだから誰かが気付くことでも無いので、知っている者は非常に少ない。きっと、姉妹のように──いずれは義姉妹にはなるけれども──仲の良いマリィもまだ知らないだろう。

 それだけ、おれが彼女に花を贈る意味は十分にあった。

 

「いらないのなら、その辺の虫ポケモンに食わせますが」

 

 花束を頭の高さに掲げると、彼女は目に見て分かるくらいに狼狽えた。その珍しい表情に、おれは思わず口角が上がる。

「い、いらないとは言ってない!」

 

 彼女が背伸びをしてギリギリ手が届く高さに上げていたで、その伸ばされた手のひらに手渡した。受け取った瞬間に、パッと表情が華やいだ彼女に良しとする。

 自分の顔の高さにまで降ろした花束を、キラキラとした目で眺める彼女は、さながら小さな子どものようだった。それなのに、髪の毛を耳にかけながら花束に顔を寄せる彼女の容貌は繊細で洗練されている。少し伏せられた睫毛が儚く感じて、思わず見惚れてしまった。

「……ん、良い香りする」

「ああ、多分カモミールですね。精神安定の効能があるそうで、付けてくれました」

「へえ。……これ作ったのって女の人?」
「いえ? 男でしたが?」

「あっ……そ」

 

 珍しく嫉妬深い様子も伺えて、やはり唐突に花束を贈って良かったと思う。もちろん花束を作ったのは男だ。家に飾ると適当なことを言ったら、向こうが勝手につけてくれたものだが。

 彼女はそれ以上は聞いて来なかった。少しだけ顔を紅潮させ、それが自分でも分かるのか、照れ隠しに顔を花束で隠す。

 

「その、嬉しい。ありがと、ネズ」

「どう いたしまして」

 ──その夜、あいつから送られてきた写真の中の花束は。
 

《ごめん……花瓶に入らなかった》

 

 なんとも面倒臭がりでガサツなあいつらしく、安っぽい紙パックに活けられていた。

 それもそうだ、あいつはいつも一輪しか飾らない。つまり一輪挿ししか花瓶は持っていないんだ。思い付きで買うもんじゃなかったかもな。

 贈った側のおれは当然頭を抱えたが、これは良い口実になるかもしれない。

 

《今度花束が入る花瓶を買いに行きましょう》

 

 そう、あいつを外へ引きずり出すための、デートの口実に。

 

 

花束記念日

write:2020/04/18

​edit  :2021/12/05

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