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​2020/04/06

※診断メーカーより

​ 

 聞き覚えのある声が、聞こえた気がした。誰だったかは分からない。でも知っているような声に、わたしはゆくりなく顔を振り返った。

 

 平和な雑踏。日陰の街角。続く日常。欠落した記憶。忘れてしまった大切。


「どうかしましたか」


 立ち止まったわたしに気付いて、前を歩いていた日向の彼も振り返る。そんな彼の声でハッと前を向いた。

「あ、いや、なんでも」


 動揺しながら顔を戻せば、彼は小首を傾げる。


「それなら、ちゃんと前見て歩きなさい」


 彼は、深くまで聞いて来ることはなかった。代わりに、自由にしていた手を取られる。

 細くて節くれ立っている指と、皮が薄くて真白い手のひら。似ても似つかないそれに、唯一共通点を見つけるとしたら、血の気があること。


 ――誰の手と、比べているの?


「ご、めんなさ、い」


 何故か罪悪感にかられて、口から謝罪がこぼれた。泣き喚きたい感情が、心の中でうずくまるような感覚。

 

 ごめんなさい。ゆるして。

 

 いったい、誰に謝っているんだろう。


「仕方ないやつですね」
 

 けれど、彼は特に気にする様子は無く、柔らかく微笑む。わたしはその容貌に、緊張の糸が切れたかのように安心した。

 彼が笑った時の目じり皺が、よく似ていると想う。

 そしてまた泣きたい気持ちになって、ひどく胸が締め付けられた。

 俯くわたしの心を知ってか知らずか、彼は手を牽いて日向に連れ出してくれた。

 そういえば、あの絶望した世界から連れ出してくれたのも彼だったな。彼が見つけてくれなかったら、わたしは今ここに居なかっただろう。

 見上げた彼は、スポットライトのような陽光に照らされている。眩しくて、つい目を細めてしまった。

 何かを忘れていても、彼がいるなら何でも大丈夫なような気がした。何かを失っていても、彼ならわたしを愛してくれるような、そんな根拠のない自信が湧いてくる。


「……ありがとう」


 ──そっか。この暖かで優しい感情を、貴方が教えてくれたんだね。

 
 

write:2020/04/06

​edit  :2022/01/11

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