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​2020/03/23

※ネズ→夢主→誰か

※某方の呟きより​ 

 わたしはずっと、あの人の居ない悪夢の中で生きている。

 あたたかなテノールの声、皮の厚いやさしい両手、わたしを見てやわらかく笑む目元。

 それらがもう、もう手の届かないと理解してしまうと、足元が真っ暗闇に吸い込まれていくような感覚に陥った。

 居ないことに慣れてしまうのが嫌で、必死にもがく。あの人の面影を思い出させてくれる人。ぬくもりを感じさせてくれる人。手当たり次第必死に探した。

 そんな荒れていた時に出会ったのが、ネズだった。

 もしかしたら、誰でも良かったのかもしれない。もしかしたら、出会ってしまったのがいけなかったのかもしれない。

 でもその時、わたしたちは出会ってしまったのだから、お互いに惹かれて合ってしまったのだから、もうどうしようもなかった。

 ネズは、どんな時もわたしを支えてくれた。いつも傍に寄り添ってくれて、必要ならばさりげなく手を繋いでくれて。ネズの胸元に耳を寄せれば、一定した心音が聞こえてくることに安心した。

 穏やかなテノールの声、細く節くれ立った手、真っ直ぐ見据える気怠げな目元。

 ──違う。当然だよね。あの人はもうこの世に居なくて、ネズはあの人の代わりになんてなれない。それにあの人は、傍に寄り添ったり、手を繋いたり、支えてくれたりなんて、恋人のわたしにしてくれたことなんてなかった。初めて耳を寄せた胸元からは、心音も何も聞こえなかった。

 ネズはあの人になれない。似るはずもない。まったくの別人。

 そうしてまた喪失感が溢れ出す。頭が混乱して、何も分からなくなってきた。叫びたくとも声が出なくなる。そんな情緒不安定なわたしの傍で、ネズは決して見捨てず寄り添ってくれる。

「きみはそのままでいいんです」

「変わらなくて大丈夫ですよ」

「無理に忘れようとしなくても構いません」

 やさしく、そう囁いてくれる。それがかなしくて、くるしくて、でもどうしようも出来なくて。わたしはただ、ネズにしがみつく。ネズは、わたしを慰めるようにそっと背を撫でてくれた。

 だからわたしはずっと、あの人の居ない悪夢の中で生かされ続けている。

 彼女はずっと、おれの知らない誰かの悪夢にうなされている。

 おれがどんなに彼女を支えていても、傍に寄り添っていても、手を繋いでいても。見詰め合っていた瞳がふと光を見失い、そして自ら絶望の淵へと逃げていく。

 おれはそれが堪らなく嫌だった。だから、どうしても光のある方へ導いてやりたかった。

 しかし、彼女の中から“それ”を消すことは不可能だった。“それ”は、すでに今の彼女を形成する一部であり、おれが愛している彼女を彩る奇麗になっている。

 おれでは代わりにならないことは分かっていた。彼女ももしかしたら、縋り付けるなら誰でも良かったのかもしれない。もしかしたら、出会ってしまったのがいけなかったのかもしれない。

 でもその時、おれたちは出会ってしまったのだから、惹かれ合ってしまったのだから、運命だと受け入れたかった。

 おれは、胸元に縋って来る彼女を受け入れる。しかし彼女はおれの腕の中で「ちがう、ちがう」と泣きじゃくっていた。……そう、おれは違う。おまえが想いを寄せる人では無い。当然だ。そいつはもう居ないのだから。

 そうして彼女が鳴咽ばかりで言葉が出なくなる頃に、おれは彼女にやさしく言葉を紡ぐ。

「きみはそのままでいいんです」

「変わらなくて大丈夫ですよ」

「無理に忘れようとしなくても構いません」

 それは、彼女を絶望へと誘う本音であり、嘘だった。おれだけを見て欲しい。けれど、そいつのおかげでおれに縋り付いてくれることも事実。そして何よりも、おれの言葉で瞳の煌めきが喪われていく様が、たまらなく愛おしかった。

 それから背中を壊れないよう撫でてやれば、彼女はもう、何も出来なくなる、何も考えられなくなる、泣かなくなる。その身動きが取れなくなってもたれかかってくる姿が、何よりも可愛想だった。

 だから彼女はずっと、おれの腕の中で死んだ恋人の悪夢の中を生き続けていく。

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write:2020/03/23・2020/03/25

​edit  :2021/11/04

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