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​2020/02/18

※元ネタ:釘宮方美(ボールルームへようこそ)

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 逼塞(ひっそく)。おちぶれて、みじめな境遇にあること。

 この意味を知った時、何だか今の自分のことを言われているような気がして、思わず乾いた笑い声が出てしまった。だって、自分でもそう感じているから。
 わたしがいる世界には、必ず勝者と敗者がいて、それ以外存在しない。どちらが上か下か、常に勝敗とランク付け、そして世間からのレッテル貼りが永遠と繰り返される、残酷で非道な世界だった。どんな天才も心に地獄を抱え、最悪な光景を一目見ようと必死に足掻いている。
 わたしも、ライバルのあいつも、その中のひとりだった。10代の頃に自ら望んで飛び込み、そして大人になった今でも地獄の中で一喜一憂している。

 しかし、聡明で美しく誰よりも煌めいているあいつがいれば、こんな最低な世界も少しはマシに思えた。あいつだけは、こんな馬鹿げた世界にいても正気を保たせてくれたから、飛び込んだ当時の夢や希望を忘れないでいられた。あいつさえいてくれたら、わたしはいつまでも頑張れた。あいつも、きっとそう思ってくれているはず。

 ──そんな風に、お互いにライバルだと思っていたのはわたしだけだったようで。

 彼は、自身の幕引きを、わたしではなく、あのドラゴンストームに任せたのだった。ダイマックスしたジュラルドンを先に抑え、白兵戦へともつれ込む。一時は優勢を取っていたものの、あと一歩のところで敗れてしまったけど。

 今まで観てきたバトルの中で最も美しい散り際だと感じた。感じたからこそ、失望した。わたしは、彼のライバルに足り得なかったんだと。

 彼の信念とそれに足る強さに、観客は夢中だった。そのゴチャゴチャとした騒音はまるで、わたしが今立っている床が抜け落ちていくように聞こえた。自意識が落ちていく、更なる地獄へと。

 彼にとっては、わたしでは幕引きのスパイスとしては不相応だったわけだ。こんな予選落ちするくらいの雑魚がライバルだなんて笑わせる。

 そう考えることでしか、わたしは“わたし”を維持出来なかった。でないと、地獄の底にいる自意識に引きずり込まれてしまうから。自意識は、“わたし”が落ちぶれるその瞬間を待ち望んでいる。

 ……彼はわたしのことをどう思っていたのだろう。考えれば考えるほど恥ずかしくなる。自分を殺したい。けれど、殺すほどの勇気が無いから、誰かに殺して欲しい。ああ、生きていたくない。

 そんな感情が、わたしの中で渦巻いては、わたしを罵って来た。それに耐え切れるほど、わたしは強くなんてなくて。

 そうしてむしゃくしゃして呼んだアーマーガアタクシーで、何も準備しないままワイルドエリアに向かい、手持ちを鍛え直すためにエリア各地を転々としながら何週間も籠り、遂にはハガネールと自転車で衝突事故を起こし、地面に叩きつけられた衝撃で昏倒、骨折だの内蔵損傷だのと大怪我をして、今入院している。

 何とか命が助かったのは、きっと運が良かったからだろう。たまたま通りがかったワイルドエリアのリーグスタッフが、事故現場で野垂れていたわたしを見つけてすぐに救急搬送の手配をしてくれたらしい。それがつい3日前のことだと言うのだから驚きだ。

 さらに驚いたことがある。目が覚めて最初に見たものが、白い天井を背景にわたしを憎たらしそうに見下ろすアイスグリーン。追い求めて止まなかった彼が、わざわざわたしのためにここに来ていてくれた。どうして、なんて言葉も出ないくらい、驚いた。

「おまえ、昔から鉄砲玉みたいですよね。行ったきり戻って来やしない。ほんと、いつもヒヤヒヤさせられましたよ」

 先のあらましに加えて、わたしがシュートスタジアムから逃げ出した後に起きたブラックナイトの再来だの、その後のダイマックス事件だの、わたしの知らない間に何やら楽しいことに巻き込まれた話も、聞いていないのに教えてくれた。それを淡々とつまらなそうに話す彼が、わたしには一等眩しく感じられた。

「元気そう何よりだよ」

「ええ全く。おかけさまで」

「おかげさま? わたしは何もしてないけど」

「何を言ってやがりますか。数週間行方不明だった人間が大怪我して入院したと聞けば、おれでも寿命が縮まりましたよ」

「わたしなんか心配しても何の得にもならないでしょ。お見舞いだって、別に来なくていいのに」

 一方的にライバル扱いして、一方的に意識して、一方的に想い馳せて。彼にとってはいい迷惑だったろうな。もうジムリーダーを引退したのだから、リーグに入っているわたしに構わなくたっていいのに。減らない憎まれ口を叩き、しかし首を少し動かして彼から視線を逸らした。

「……怒っていますか?」

「何に対して聞いてるか分からないけど、わたしは怒ってないよ。ネズが決心したことにあれこれ言える資格なんて、わたしには無い」

「そう、ですか」

 きっと、引退について怒っているか、だろう。控えめに聞いてくるものだから、わたしに対して後ろめたさを感じていたのかもしれない。けれど、言いたいことは全て、あのワイルドエリア籠り期間で砕いて溶かしてしまったから、改めて言うことは何も無かった。伝えたかった想いも、感情も、何も無い。

 もう、何の関係も無いんだと信じて、勝手に裏切られた気分になって、本当にわたしという奴は逼塞だ。だんだん視界がぼやけてきて、比較的自由が利く左腕を目の上に乗せた。

「ねぇ、もうわたしに気を使わなくていいよ。ジムリーダーじゃないんだし。もう、関わらなくていいよ……」

 急に嗚咽が零れそうになり、それを歯を食いしばって我慢する。泣かない。泣きたくない。あいつの前だから。そう押し止めれば、自分の首を絞めているみたいで息苦しくなった。目頭が熱くなって、目を強く瞑る。堪える。

 

「……これから言うことは、おれの独り言です。だから返事は要りません」

 彼は、静かに続けた。

「ライバルだと勝手に思っていた同期の女の子がいました。思い込みが激しく行動派な彼女をいつも追いかけるのに苦労したけど、おれは嫌いではありませんでした。彼女はずっとおれと切磋琢磨して来ました。だから、おれが引退を決めたことに怒るんじゃないかって、愛想を尽かすんじゃないかって、思ったんです。それでも、ジムチャレンジ期間が始まって会う時間が減る中でも、何度も伝えようとしました。けれど、彼女に嫌われたくない感情が邪魔して、結局最後まで伝えられませんでした。彼女に引導を渡す役目を任せたら、彼女との関係が、ライバルどころか何もかも終わってしまうような気がして、怖かったんです。本戦に彼女が居なくて少しだけ安心しちまいましたよ。でも、おれの臆病さが彼女を傷つけちまった、おれは最低なことを彼女にしてしまった。おれには追いかけられるような資格なんてなかった。嫌われただろうと思うと、途端に自信を失くしましたよ。彼女の前に出て直接嫌いだと言われたら、きっと立ち直れなかったかもしれねぇ。もう嫌われたのならいっそのこと、何処かおれの知らないところで幸せになってくれれば良い。おれなんかのことを忘れて、ただただ幸せに。そんな風に諦めた時、彼女から連絡が来たんです。ただそれは彼女本人ではありませんでした。とにかく言われた場所まで会いに行けば、本人は死んでいるように眠っていたんですよ。その時、伝えられなかったことに酷く後悔した。もしこのまま目覚めなかったら、おれはずっと自責の念に駆られていたでしょうね」

 珍しく雄弁に語る彼の声は優しくて、熱がこもっていた。目頭を押さえている左腕の包帯が、湿り気を帯びていく。

「だから、彼女が起きたら必ず伝えようと想いました。ずっと傍に居て欲しい、ライバルではなく、恋人として」

 ふと力の入っていなかった左腕が持ち上げられ、光を感じ取った瞼が勝手に開く。そこにはわたしを映した綺麗な双眸が、やわらかく覗き込んでいた。彼の言っている意味が分からなくて、わたしは見つめ返すしか出来ない。左手に彼の手が絡む。

「きみが好きです」

 ほんとうに、何を言っているのか分からなくて一度瞬きをしたら、熱い雫が目尻をなぞり零れた。嗚咽を必死に堪えるわたしの顔を見た彼は、何故か照れたようにくしゃっと笑った。その顔は、わたしがずっと大切に、誰にも知られないように、縋るように抱え込んで来た煌めきのようで、胸が張り裂けそうになる。

 こんな逼塞者が好きだなんておかしい。砕いて溶かしたはずの感情が形を取り、わたしの中で重くのしかかった。苦しいのに、熱狂させられそうになる。ぼやけていく視界を直したくてもう一度瞬きをすれば、雫がほろほろ零れた。
 

「おれのことが嫌いではないなら、付き合ってくれますよね?」

「ッ……退院したら、考えてあげてもいいよっ」

「……おまえと言う奴は本当にさ」

 

 少しはぐらかしてしまった。だって、悔しかった。わたしだって同じくらい意識してたよ、バーカ。

 そんなわたしに彼は──ネズは眉間に皺を寄せ、呆れたようにため息をつく。そして、手を絡ませていたわたしの左手に、恭しくキスを落とした。

 

「上等じゃねぇか」

 

 ぎらりとわたしを睨む双眸は、ライブしている時みたいな熱を感じさせ、その瞳に強く惹かれていたことを想起させる。こうして、わたしの逼塞な自意識は、地獄の底からネズに救い出してもらえた。

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write:2020/02/18

​edit  :2021/10/22

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