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​2020/12/24

※クリスマスネタなのに報われない

 

 別れた恋人が、数か月後に別の男と付き合ったりデキ婚したりなんて、よくあることだ。おれは経験ないけど、知り合いのバンドマンがそんなやつばかりだから、なんとなくそんな固定概念があり、おれだけは違うと大言壮語しているだけかもしれないが。

 そいつは、おれから振った。おれのことを本当に愛しているのか分からなくなってしまったから。元々優柔不断で、自分では何も決められないやつだった。おれと付き合う時も、特に悩む様子を見せずに二つ返事で了承された。それでもおれは、そいつのことが性格もひっくるめて好きだと思っていたから、その時はただ恋人になれたことが嬉しかった。

 ある時、ふとそいつとの時間を思い返した時に、そいつから『好き』とか『愛してる』とか、愛情表現になる言葉を聞いたことが無いと気付いた。そしたら途端に隣に居るそいつが怖くなり、加えて信じられなくなった。きっと強請れば望んでいる言葉をくれるだろうが、自発的でないとおれにとっては意味も成さない。それを頑張って待とうと思ったが、日に日に不安に押しつぶされるおれのメンタルが先にやられてしまい、堪えきれずそいつに別れを切り出した。その時もそいつは、一瞬たりとも悩むことなく、二つ返事で了承した。おれに縋るどころか責めることもせず、ただ「ごめんね」と笑っておれの元から去った。それは、六回目の聖夜を共に過ごす前のことだった。

 次の日から、おれは怠惰に日々を過ごした。何もやる気が起きない。好きな音楽を聴こうにも、自分が今何が聴きたいのか選べず結局諦める。食欲も湧かず、辛うじて水だけ飲んで無駄に生き長らえる。そんなだらしのない兄を見た妹が思考錯誤して約一週間振りに外へと引きずり出すまで、おれは家に引きこもった。

 二酸化炭素が重くのしかかって来た自室から、酸素が豊富な外に出ると、不思議と身体が軽く感じる。呪縛からようやく解き放されたような気分になった。それから、否が応にも外へと連れ出してくれた妹へ、感謝と謝罪の意を込めて買い物に付き合った。聖夜を迎える街の雰囲気に呑まれて、何もかも忘れて、純粋に、大切な家族との買い物を楽しんでいた──と、言うのに。

 おれというやつは、どうも諦めの悪い野郎で、無意識でもそいつを人混みから見つけ出すことだけは、今も相変わらず得意としていた。だから、そいつがおれの知らない男と腕を組んで歩いているのを、いとも容易く見つけてしまった。妹と一緒なら、きっとこんな修羅場から連れ出してくれただろうに、この時に限って離れていたのがおれの運の尽きだった。

 その男は、初めて見る。おれの知り合いはもちろん、そいつの知り合いにも居ないタイプ。溌剌として、爛々として、正義感の強そうな、おれとは何もかも正反対のタイプ。対峙してしまった瞬間から、視界がぐらぐら揺れて、五月蠅く響いている耳鳴りに片頭痛が起きた。

 その人、誰ですか? そんなやつどうやって知り合ったんですか? おれと別れていまだ一週間ですよ? さすがに切り替え早すぎません? おれはそんなに役不足でしたか? その男の方がおれなんかよりも好きなんですが? おれはもう過去のことですか?

「もう別の男と関係持っていやがるのか。ッハハ、相変わらず尻軽ですよね」

 思っていることとは全く違うことが吐き出される。

「よくもまあ、毛色の違う男を見つけましたね。そういうの得意そうに見えてたよ。おれの時は何股してたんですか?」

 ああ、ちがう。そういうことを言いたいんじゃない。しかし、こういう時ばかり饒舌になるおれは、笑みを引き攣らせながら続けてしまう。

​「やっぱりおれじゃあ満足いかなかったんですね。ああ、すみません、本当に役立たずで」

 終始黙り込んだままのそいつがおれに向けている表情は、一体なんだろうか。同情、不安、恐怖、どれも違う気がする。泣きそうな目をして、唇を噛み締めながら、じっとおれを見据えていた。初めて見る顔だった。それはおれにとって嬉しいはずなのに、そいつの感情が読み取れなくて、ますます劣等感に蝕まれた。

 罵詈雑言を並べ立てていると、そいつの隣にいた男が不意に前に身を乗り出した。おれがそいつに向けて放った言葉から庇うようなことを何か言って、そしたらすかさずそいつが自分に非があるようなことを男に伝える。

 カノジョヲワルクイウナ。チガウノ、ワタシガワルイノ。シカシ、オンジンヲノノシラレテ、ダマッテハイラレナイ。ダイジョウブダカラ、ネズノコトヲキズツケタコトハ、ホントウダカラ、ワタシノツミダカラ、ナニヲイワレテモシカタナイノ。

 同じ言語を使っているはずなのに、どこか遠い異国の言葉のように聴こえた。それが目眩と耳鳴りを助長し、頭痛が強調させられる。目の前のくだらない惨劇に、見事当て馬にされられてしまったことを気付かされた途端、腹底から逆流してくる圧迫感に吐き気を催した。

 ──なんだ、こいつら。何を言っているんだ。きもちわるい。

 胃から食道に押し迫るものを感じて咄嗟に口を抑えたおれは、その場から背を向け逃げ出してしまった。必死に人をかき分けて道の端に行き、視界に捉えた細い裏路地を一心不乱に目指す。ようやく人目のつかないところに着いた瞬間に気が抜けてしまい、抑えていたものが決壊した。

「お゛、ッえ、ぅぐ」

 妹との久々の外食でも、固形物を食べなくて本当に良かった。そんなことを考えながら、せり上がって来たものを一思いに吐き出す。悪寒で全身が粟立つほど、そいつらのことを身体は拒否反応を示していた。冷や汗で体温が急激に下がっていくのが分かり、壁に凭れながらズルズルと膝を着く。

 一週間前までは、おれのものだったのに。おれしか触られたことのない、おれだけしか男を知らない、おれの、──……。

 こんなつまらない感情も、胃液に塗れさせて吐き出してしまえば良いのに。そいつとの記憶をすべて忘れてしまえば楽なのに。おれというやつはいつまでも未練がましくて、今でもそいつのことが好きなのだと再認識させられて、しかし既に別の男が隣に居て、おれにはどうにも出来なくて。

 ただ寒空の下、賑わう街の喧騒を遠くに聞きながら、惨めに蹲ることしか、今のおれには出来なかった。

   

ニコラスの遺灰

write:2020/12/24

​edit  :2021/02/06

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