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​2020/01/20

※頑張った私なりのメンヘラ

 ネズくんだけが、“わたし”で居られる唯一の居場所だった。どんなに世界が理不尽でも、ネズくんに会ったらなんてこと無い。声を聴けるだけで、疲れなんて吹き飛んでしまう。体温に触れるだけで、何もかもが幸福に感じられる。

 眠れなくて濃くなった隈を隠すパール系のコンシーラー。一晩中泣き腫らした瞼を誤魔化すボルドーのアイシャドウ。栄養不足でくすんだ肌を覆う明るめのファンデーション。唇の暗さを塗りつぶすしあーレッドのカラーリップ。

 こうすればみんな“わたし”に夢中で、誰一人としてあたしに気が付かないことは知っていた。濁った血色をしていた爪も、あたしの心を表しているみたいに真っ黒に塗っちゃえば、ネズくんだって「おまえに黒は似合わねぇですよ」なんて笑ってくれて、ちゃんと欺くことが出来る。

 気が付かなくていい。気が付かないで欲しい。こんなに弱いあたしは、ネズくんの隣に立つことはきっと出来ない。こんなに自信が無くて弱いあたしを見て、ネズくんに失望されたくない。好きな人には、理想の“わたし”を見ていて欲しい。ネズくんだけが、あたしのすべてだから。

 上手く立ち回れないあたしは、出来損ないのあたしは、あたしは、もう愛されない。ネズくんの傍に居てはいけない。そう思ったら、ネズくんに見つかってしまったあたしは、迷いなく足を虚空へと踏み出せた。

 

 おもむろに意識が浮上した先は、真っ白な箱の中だった。けれど、目の前がぼやけていて、白いこと以外何も判別出来ない。さらには、頭もぼんやりと霞んでいて何も考えられない。身体も重くて何一つ動かない。ただ意識だけが、あたしの中で浮遊しているみたいだった。

 ふと、右手に愛おしい感触があった。何故愛おしいかは、思い出せない。でも、あたたかいような、つめたいような、その不思議な温もりに何処か懐かしさが感じられた。

 遠くで、音が聴こえるような気がする。ガラス越しのようにくぐもっているけれど、辛うじて、規則正しい機械音と、不規則な嗚咽。だれか、ないてる? 確認しようかと首や目を動かそうと試みたけど、鉛のように重くて動かせなかった。

 お母さんだろうか。ともだちだろうか。正直、ネズくんでないなら、興味は無い。そもそもネズくんは、駄目なあたしに失望してしまったから、あたしのために涙を流すことなんてしないし、ましてやこんなところにも来る訳が無い。あたしは、ネズくんに愛されなかった。愛想も尽かれてしまって、もうネズくんの視界に入れてもらうことも許されない。それは、つまり、あたしへの死の宣告。

 もう姿を見れないと想うと、途端に寂しくなって来た。あまり働きたがらない脳を必死に回して、たくさん焼け付けたはずのネズくんの姿を再生させる。けれど、記憶が抜け落ちてしまっていて、形作る前に崩れていった。

 ああ、おちるまえに、すがたをもっとやきつけておけばよかった。

 それだけ後悔して、あたしの意識は深く沈んでいった。 

 

write:2020/01/20

​edit  :2021/09/15

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