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​2019/12/18

 寝食も忘れて数日仕事部屋にこもっていたら、恋人に出ていかれてしまった。

 日ごろから「仕事している時は邪魔をするな」と言っていた。音に関することだから、ポケモン以外の音が入ることを、おれが極度に嫌っていたからだ。それに彼女は「まあ、お仕事だもんね」とニコニコ笑っていて、その屈託のない笑顔が今も脳裏に焼き付いている。

 彼女は決して邪魔などして来なかった。だから、熱中して書き上げた。普段照れくさくて言えていない言葉たちを、詩に込めて、歌にして、音楽にして。ついに、出来たんです。一番最初に聴いてもらえますか。それから、「素直じゃないなぁ。まあ、そんなところが好きなんだけど」って、おれの好きな笑顔で笑ってくれませんか──

 彼女の名を呼びかけながら仕事部屋を出ると、月明かりでほのかに浮かび上がるリビングが冷ややかに広がっていた。手洗いか、それとも風呂か。もう一度呼びかけてみるものの、おれの声だけが響くだけで何も返って来なかった。

 急に居なくなる彼女ではないから、もしかしたら買い物にでも行っているのかもしれない。しかし、日付は変わる直前だ。出かけると言う時間帯ではない。もしかしたら、書置きやメッセージがあるかとダイニングのテーブルやスマホロトムを確認するものの、それらしきものは見当たらない。元より筆まめな方ではないし、おれがスマホロトムを使ってチューニングをしていることを知っているから、余計な通知は避けたんだろう。とはいえ、理由なく居なくなる彼女ではない、はず、だから。

 ワーカーズ・ハイというやつが切れ始めたのだろうか。頭痛を覚えた頭を抱えて、覚束ない足取りで壁を伝いながら玄関へと赴いた。用心深い彼女はチェーンまで掛けて施錠するところが、チェーンが掛かっていない。考えたくない嫌な予感にゾッと血の気が引き、一瞬意識が遠のいた。気持ち悪い浮遊感に耐え切れず、たまらず膝を着いた。傍でマッスグマが何か気に掛けるようにおれの顔を覗き込み、後ろではズルズキンがおれの髪の毛を軽く引っ張っていた。

 どのくらい時間が経ったのだろう。玄関前で動けなくなったおれは、膝を抱えてぼんやりと失意に陥っていた。すると突然、玄関の鍵が解錠して、ドアが、開かれた。

「ただいマタドガス~。あっ、ただいマッスグマの方が良かったかな。ん? ネズ? どうしたのそんなところに座って」

 ……おれはどうして彼女が出て行ったなんて考えていたのだろう。彼女がおれから離れていくことなんてないのに。愛も変わらずニコニコと朗らかに笑う彼女が、そこに居た。

「ネズ~? まだ拗ねてるの?」

「……………」

「ちょっとコンビニ行ってただけだって」

「……………」

「声掛けたってヘッドフォンしてるだろうし、聞こえないかと思って。あ、一応マッスグマとズルズキンにはお留守番よろしくねって言ったよ」

 だからあの二匹は、おれの周りをうろちょろしていやがったのか。

「……次からは、何か書置きしてから買い物行ってください」

「コンビニでプリン買ってくるだけなのに?」

「返事は『はい』か『イエス』しか受け付けねぇです」

「はいはいイエスイエス、気を付けまぁす。あ、ねえそのカスタードプリンひと口ちょおだい」

「……………」

「んぁ、勢いありすぎ、ちょ、まゴガッ」

 ……こいつ、本当に反省してやがるんですかね。生返事にムカついて、彼女が思い付きで先ほど買って来た新発売だというプリンとやらを、その生意気な口に押し込んでやった。それでも美味しそうに「ふへへ」なんて笑うから、おれもつられて頬が緩んでしまう。

「ねえ、そういえばわたしへの曲が出来たんでしょ? 聴かせてよぉ」

「いやですね」

「えっ」

「いやですね」

「いや二度も言わなくても、てか即答!? えぇ、なんで!?」

「さあ」

 杞憂に安堵している自分を知られるのが、何か嫌だった。きっとこんな女々しいやつでも、彼女は気にせず受け入れてくれるはずだろうに、変に格好をつけたがるおれはガキだなと内心呆れる。素知らぬふりをして、彼女に押し付けたスプーンを自分の容器に戻して、掬った黄色を今度は自分の口へと運んだ。たまごがこだわりだと謳っている通り、比較的甘味が抑えられている。くちどけはなめらかで、まるで液体だ。「ネズと一緒に食べようと思って二つ買って来たんだ。疲れた時には糖分だって言うじゃない?」と言う、彼女の慈しみの味。

「あ!」

「なんですか」

「あ、いや……間接キス、だなって。っふふ」

 日々のなんてことない、よくある些細なことでも、おれとのことなら、なんでも喜ぶ彼女だから。

 忽然と消えてしまうのではと、ありもしない悪夢に怯えてしまうんだ。

 

write:2019/12/18

edit  :2021/08/18

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