top of page

​2019/12/17

 ネズくんがファンの女の子たちに囲まれているのを、わたしは遠くから静かに見守っていた。

 厚底のラバーシューズを履いていても、ネズくんよりも頭ひとつ分ちいさな彼女たちは、同性のわたしから見ても大変可愛らしい。よく手入れされていそうな色とりどりの髪に、時間をたくさんかけただろうキラキラしたメイク、細かい装飾が施されている繊細で高そうな服装。ナチュラルメイクで安くてくたびれたスーツ姿のわたしとは、月とカジリガメくらい程遠かった。

 興奮気味の彼女たちの声はとても大きくて、それが人が疎らになったから音が響きやすくなったからか、小さな箱の出入り口付近で壁に寄りかかっていても話の内容がよく聴こえる。ネズさん格好良かったとか、あの歌がどう良かったとか、今日のライブも最高だったとか。それぞれの言葉に、ネズくんはひとつひとつ「ありがとうございます」や「照れますね」としっかり受け止めた。

 話の輪に加わってないのにも関わらず、わたしも彼女たちの話に聞き入ってしまう。ネズくん格好良いよね、分かる新曲良かった、今日も楽しいライブだったね、彼女たちの声にひとつひとつ心の中で同調した。それから、ファンを無下にしないネズくんのことを流石ガラル紳士だと微笑ましく見守る。

 ──ふと、隣から声を掛けられた。顔を向ければ、知らない二人組。綺麗だとか美人だとか、なんかお世辞をもらって、ああナンパかと内心呆れる。どんな褒め言葉も、ネズくんからじゃなければ何も嬉しくない。とりあえず、当たり障りのないよう作り笑いを張り付けて簡潔にお礼を伝える。それが好印象に感じられたのか、調子に乗って来て食事に誘われた。困るなぁ、待ち合わせしてるのに。人と予定があることを理由にやんわりとお断りしたというのに、一緒でも良いからなんて。いつ相方が女の子だと言ったのか。勘違いも甚だしいな。あんたたちがさっきまで見上げてた男だというのに。

 どんなに結構だと言っても、食い下がって来て少しイライラする。もっとキツい言い方をしようか考えていたら、突然、腕が引かれた。男たちとの距離が、少し離れる。

「わっ、」

 油断していたからか、そんなに高くないはずのパンプスのヒールで足元がぐらついた。バランスを崩して後ろに倒れそうになるわたしの身体を、すかさず誰かが背中から支えてくれて、尻もちを着くようなことはなかった。けれど、強めに掴まれた方が地味に痛い。

「……おれの女に何か用ですか」

 斜め上から聴こえてくる、わたし以上に苛立ちを含んだその刺々しい声は、まさしく恋人──ネズくんのものだった。それから、唖然とする彼らの答えを一秒たりとも待つことはせず、そのまま会場から連れ出されてしまった。

 

 何処に向かっているのか分からない。ネズくんに腕を引かれるまま薄暗くて細い路地を早歩きで歩く。少し歩調が合わなくて、ところどころで足がもつれた。

「……ねえ、ネズくん?」

「なんですか」

「ヤバいんじゃない?」

「なにが」

「お話してたファンの子たち、まだ残ってたでしょ」

「それが?」

「いやいや、それが? じゃないよ。ガチ恋ちゃんたち阿鼻叫喚だよ! てかスキャンダルだよ! 衝撃、人気シンガー一般女性と熱愛発覚! なんてすっぱ抜かれちゃうよ!」

「……おれは別に構いません」

「わたしは構うよ。叩かれるネズくん見たくないもん」

「っ、なら、」

 突然ネズくんが振り返ったことで、わたしは勢い余ってネズくんにぶつかった。見事に胸元にすっぽりと収まってしまい、顔を見る間もなくそのまま抱きすくめられる。

「……あまり、他の野郎に見向きしねぇでくださいよ」

 消え入りそうな声に、申し訳なさと、ちょっとだけ母性が擽られて嬉しくなった。淡泊そうに見えて実は結構嫉妬深いところが、こどもっぽくて可愛い。もっとして欲しいと思ってしまう。

「よそ見なんてしてないよ。わたしはずっとネズくんしか見てないって」

 だからだいじょうぶ、そう心を込めて、項垂れるみたいにわたしの首元に顔を埋めるネズくんの頭を撫でてあげた。

 わたしの恋人は、ステージ上ではみんなの人気者(かみさま)でも、ひと度ステージから降りてしまえば嫉妬深くて可愛らしい男性(にんげん)になる。

​ とってもいとおしくて、かけがえのないひと。

「なんか、おればかり欲張りになってますね。女性に囲まれててきみは何とも思わないんですか?」

「え? ネズくんわたししか見てないでしょ? なら安心だよ」

「……ほんと、そういうところ見習いたいです」

​ 

write:2019/12/17

edit  :2021/08/13

bottom of page