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​2019/12/03

熱で引っ掻き回されて溺れていた思考が、おもむろに浮上する。暑気が淀む部屋の空気と、事後特有の倦怠感。髪も、手足も、胴体も、わたしの何もかもが、今寝転がっているベッドの一部のように乱れ切っていた。さりげなく掛けられた肌触りの良いシーツの優しさが、わたしの胸の中をほんのりとあたためてくれたような気がする。横を見ると、わたしを小突き回した張本人であるネズが居た。上半身を起こしていて、ペットボトルの水を飲んでいる。飲み込む度に動く喉仏が、間接照明の淡い光に照らされて、象られる陰影がうつくしかった。それから、飲んだ後の軽い吐息がこの淀んだ空気の中では一番澄んでいるように感じて、それだけ吸って生きたいなんてことを考える。そんな風にぼんやり見惚れていたら、ふと喉の渇きを覚えた。そうだね、ちょっと前まで散々哭かされていたものね。「ぃ、ず……」ネズが飲んでいる水を分けて欲しいと思って声を出してみたら、ひどく掠れていた。自分でも情けないと感じるほど耳遠い声になってしまったけど、自他ともに耳が良いと言われるネズはしっかり拾ってくれたようで、寝転がるわたしに振り向いてくれた。パライバトルマリンを想わせる双眸が、わたしを捉える。「起きましたか」わたしの顔に掛かっていた髪の毛を丁寧に払ってくれるその指先は冷たくて、けれどそれはいつものネズらしい体温だったから少し安心した。あんなに、指先の熱いネズは、やっぱり落ち着かない。「わた、し、ぉ」「ん?」「の、ど。かわぃ、あ」「ああ、水だね」手に持っているペットボトルへ視線を戻したネズの下で、わたしは起き上がろうと試みる。けれど、身体が重い。ついでに腰も痛い。辛うじて数センチ上げた頭が、枕に引き寄せられるように戻って、わたしの試みは見事失敗に終わった。「……起きないと飲めませんよ」いやね、そうなんですけどね。誰かさんが無理させるから身体中が悲鳴を上げているんですよね。ところどころ関節が軋むんですよ。そりゃもう、声も出ないくらいに。──なんて想いを込めて、わたしを呆れながら見下ろすネズに目で訴える。それが伝わったようで、ネズは目を伏せながら「仕方ねぇやつですね」と渋々動き出してくれた。わたしの上半身を起こす手伝いを期待しながらネズの行動を見守っていると、何故かネズはペットボトルの水を全部飲み干してしまった。「え、」そして、冷たい右手でわたしの顎を掴んで、呆気に取られてだらしなく開いていた唇に、ネズのそれを押し付けられる。何ごとかと判別する前に、生ぬるい液体を流し込まれた。重力に従って勢いよく落ちて来るその流れを、わたしはただ必死になって飲み込むことしか出来なかった。遂には鼻で息を吸うことを忘れてしまい、息苦しさで目が開けなくなっていた。シーツを引っ掴んでないと堪えられない。それなのに、口の端から液体が漏れて肌を伝う感覚が、何だかあの冷たい指先で撫でられているようで、息苦しさと反比例しながら、燻っていた劣情を駆り立てられてゾクゾクする。息が尽きかける手前で、ちゅっ、と甘いリップ音を立てて、ようやくネズが離れた。酸素が少なくなった頭で分かったことは、水を口移しされたこと。しかも唾液混じりで、たいして冷えてもいなかった。喉は少し潤ったものの、また息が絶え絶えになるまで息継ぎを許されなかった上に、どうすれば無味の水がこんなに不味くなるのか不思議なくらい変な味だった。「くっそまっず……」「ひでぇ言い様ですね。飲みたいって言ったのはきみでしょうに」眉間に皺を寄せて文句垂れるわたしに対して、ネズは楽しそうに口角を上げてくつくつと笑っていた。

 

write:2019/12/03

edit  :2021/08/05

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