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​2019/12/02

​『ライブ』

『今度大きめの箱でワンマンやるんですけど』

『来ますか』

 そんなメッセージと共に送られてきた、二週間ほど先の日時と会場の情報、それからチケットナンバーに二次元コード。……ここまでされては、連絡をもらった時点から私にはノーという選択肢は無い。とはいえ、断らせないその勢いはちょっと嬉しかった。

 若者に人気の、スパイクタウン出身シンガーソングライター。ジムリーダーを兼任していることで、あまりホームタウン外でライブをすることは年に数回あるだけ。しかし、この間シュートシティの駅で行われたゲリラライブが波紋を呼び、加えてジムを妹のマリィちゃんに託したこともあって、あちこちからお声が掛かっているらしい。そして、今シーズン初めてのホームタウン外のライブを開催することになったようだ。

 もちろんわたしだって、恋人の晴れ舞台は是が非でも観たい。当然、行くに決まっている。

 煌々と眩いスポットライトの下で、彼は歌う。会場は熱狂に包まれていて、最後列の端っこにいても威圧にたじろいでしまうくらいだ。

 改めて、彼の人気を肌で感じる。元々エール団のまとめ役みたいな立ち位置にいて、ジムリーダーとしての発言力もあったから、一部のファンとは知り合いだけど。……一般人のわたしが今をときめくミュージシャンの恋人だなんて知られたら、キツいバッシングを受けてしまいそうだ。

 そんな風にぼんやりステージ上の遠い彼を見ていると、何だか向こうもこっちを見ているような気がする。お互いそこまで目が良かった記憶は無いので、やはり気のせいのはず。

 そうしていつの間にか、最後のセットリスト。彼の代名詞でもあるラブソング。会場にいる人みんなを魅了するその歌声に聞き入ろうとしても、前から熱視線を感じて落ち着かない。なんでかな、彼はそんなロマンチストだったかな。

『ライブ終わったら控室に来てください』というメッセージも事前に来ていたので、それに従ってライブ終わり後すぐ関係者エリアに向かう。出入り口のスタッフさんに、彼から伝えられているであろう連れているポケモンと名前を告げると、「伺ってます」と難なく通してくれた。

 ドアをくぐり抜けたそこは舞台裏だった。同じTシャツを着ているスタッフさんたちが、慌ただしそうに機材の片付けをしている。控室はどっちだろうか、ときょろきょろを見回していると、追いやられているかのような端っこで、パイプ椅子に座り項垂れている特徴的な髪と服装の彼を見つけた。走り回るスタッフさんたちの邪魔にならないよう労りの言葉を一声かけながら、合間を縫って彼に駆け寄る。

「ネズ、おつかれさま」

​ 目線を合わせるように軽く屈んで、先ほどまでステージの上で歌っていた彼――ネズに声を掛けた。

 わたしの声に反応して、ゆっくりと顔を上げるネズの目は、重い前髪も相まって爛々と光っているように感じる。まだライブの余韻があるのかも。何かドリンクとか持ってきてあげたら良かったかなぁ、なんて考え事をしていたから、油断していた。その目がわたしの姿を映した途端、ネズは急にわたしの顔を両手で挟んで立ち上がる。わたしもつられて、屈ませていた背筋を伸ばされた。

「……………」

「ネ、ネズ? ど、」うしたの。

 言葉の後半は、唇を塞がれて紡げなかった。目の前の、ネズによって。口を中途半端に開けていたことで、ネズの長い舌がわたしの咥内に差し込まれる。驚いて咄嗟に舌を引っ込めたものの、ネズはわたしの上顎を舌先でなぞった。

「ふっ、ぅ、っ!」

 顔をがっちり掴まれているため、ネズの身長に合わせてつま先立ちになる。想像していなかった事態に腰が砕けてしまいそうになったところを、辛うじて踏ん張った。同時に、ネズの薄い胸板を叩いて抵抗してみたけど、行為が激しさを増すばかりで何の意味も成さなかった。

「ぁ、は、っん♡」

 酸素を取り込んでおく時間がなかったし、相手が肺活量のあるシンガーということもあって、一般人のわたしはもう限界に近かった。窒息する前にと、酸素を求めた本能が無意識に舌が動いてしまい、あっけなく絡め取られる。じゅる、と厭らしく響く水音が、痺れて来た脳を強く揺さぶった。抵抗していた手も、今はネズのジャケットに縋り付くのが精いっぱい。

 ──息が出来ない。苦しい。目がチカチカする。ネズから毒が流し込まれているのか、背筋に悪寒が走った。脚が震えていて、ネズに離されたら立って居られないかも。だんだん何も分からなくなって来て、頭が霞んでくる。くるしいけど、きもちいい。このままちっそくしたいくらい、むちゅうに──

 どのくらい時間が経っただろう。貪られるディープキスがようやく終わってくれた。離れた唇には、どちらのものかも分からない銀の糸が名残惜しそうに引く。顔を掴む力もようやく弱まって、やっと踵を地に着けることが出来た。けれど、荒い呼吸と酸素を回す心臓の音が身体中に響き渡って、わたしを捉えるアイスブルーから目が離せない。

「イチャつくなら見えないところでやってもらえますかねぇー!」

​ 誰かの野次に我に返る。見渡せば、数人のスタッフさんたちがわたしたちを遠巻きにしていた。微笑ましそうにニコニコしている人がいれば、恥ずかしそうに顔を覆いながらもその奥にはニヤけている口元が見える人もいて。興奮が醒め切らないネズのペースにすっかり巻き込まれてしまったけど、そうだ…ここライブ会場の舞台裏だった…! 顔面が熱帯びて来るのを感じながらネズの胸元に顔を埋めた。うわああもうネズのばか……ッ!

 それから、ライブの打ち上げにも連行されたわたしは、やっと正気に戻ってくれたネズと一緒に馴れ初めをスタッフさんたちに根掘り葉掘り聞かれた。その間わたしたちはずっと顔を真っ赤にしていたようで、別れ際に「夫婦オクタンだね」と揶揄われた。

 ……恥ずかしかったけど、みんなわたしの存在を受け入れてくれたように感じられて安堵した。世間一般はどうあれ、身内以外にも応援してくれている人がいると思うと心強い。わたしはこれからも胸を張ってネズの隣に立てるよう頑張らないと。

 そしてわたしは、二度とライブ直後のネズに近づかないことを心に決めて、ネズにはライブ直後わたしへの接触禁止令を出すのであった。

「というか、なんでライブ直後にわたしを呼んだの?」

「……終わった時に、隣に居て欲しかったんです」

​ ……うん、まあ。無理やりにされたのは、ちょっとだけときめいちゃったけど。だけどこれはナイショにしておこう。

 

write:2019/12/02

edit  :2021/08/04

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